娘のダンスの発表会でした。
発表会自体は何回目かだし、いつも感動するのですが、
今回は、自分の中での
「自分を表現する・自分の感覚感情を外に出す」ということが
私にとっての琴線に触れると自覚してから初めての発表会。
最後の先生たちの演目が、
もう めちゃくちゃ感動した!!!!!!
子どもたちに「何泣いてんの?!」という目で見られるくらい
琴線に触れたときの泣き方って、
なんであんなに止められない感じで出てくるんでしょうね〜
正解も不正解もない、
各々が自分が感じたように表現している。
自分を出している。
ただ自分を外に出している。
それを私もしたいんだ。。。
誰かの目を気にしてやめるんじゃなく
自分がその時、思ったように外に出す。
止めること無く。
恐れず、臆さず、外に出す。
ソレは自分が自分を認めているってこと。
他人の目を気にせず、自分の感じたまま。
私は、自分が感じたことすら
ポーカーフェイスを装って出さないようにする。
主に怒り、悲しみ、泣くなどの一見マイナスのようなものは特に。
楽しいとか嬉しいとかは出せる。
「負の感情」と自分で位置づけているであろうモノに
対して、出さない。
出さないだけじゃなく、出さないで済むように
無かったことにしてる。
やっかい。。。
だから、喉のチャクラが詰まってるんだな〜
だから話すことが必要なんだ。
そして、歌や踊りはやってみたいこと。
だから、今それをやってみる、というのも有りだな。
小学生より小さいくらいの私の写真は
けっこう面白い感じで写っている。
それをいつから出さなくなったのか。。。
今が出し時かもしれない。
ますは、文章で。
歌やダンスもやっていってみよう。
やった先に何かが見えてくるかもしれない。
幼少期の生存本能として
養育者の機嫌をみるようになると言われていたり、
人生脚本を小さい内に決める、と言われている。
そういうことを理論としては知らない内に
自分で決めて生きていく。
思春期に親と自分の価値観に違和感が出た人は
反抗期を経て、自分の価値観にうまくシフトしていくのかもしれない。
私の場合は、反抗期も無く、自分の価値観と
親の価値観と、世間の常識とが、まだないまぜになっている氣がする
だから、子どものことをきっかけに
徐々に自分の価値観に氣づいたり、
本当の自分はこうかもしれない、と違うことをやってみたり
43才になった「今」やっているのかもしれない。。。