自分と自分

クラニオセイクラル・バイオダイナミクス

私にとって、これほど自分のあり方、子どもとの接し方、夫との接し方、周りで起きていることに対する自分の捉え方

などなど、いろいろな氣づきをくれるものは無い。

今のクラスの仲間たちは、それぞれ何かのプロフェッショナルな人たちが多いように思う。

その中で、一人普通な自分。(普通が何かはおいといて)

そして、クラニオセイクラルの中でも、このバイオダイナミクスという生命の根源に触れるようなものを

学びに来るという、不思議な縁。

ある仲間からすると

「いたって健康そうで、ゆがみも無く、トラウマとかも無さそうなのに、なんでここに出会ったんだろうね。」と

言われるくらい、一般的な自分。

私の役目は、この素晴らしいクラニオセイクラル・バイオダイナミクスを、もっと一般的に普及させる。

ということなのかもしれない。と思う。

ただ単純に、生命の営みを見させてもらいたい、知覚したいだけなのだが。

そこは、山羊座の「役に立ちたい」という心が出てきているのかも。

今回も濃密な4日間で、4日前が遠い過去のような、不思議な感覚。

学んでいることは、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスというものの、仕組みだったり、やり方だったり、

するのだけど、それで終わらない。自分の特性やモノの見方・捉え方、どういうふるまいをする傾向があるか、

それによりいつも蓋をしているものは何かなど、自分のことが、結構出てきて、びっくりする。

知らず知らず、「いい子・人に合わせることが普通・自分より周りを氣にする」ようになっていて、

自覚なく、認められたいとか、異端に思われたくないとか、思っていたのかもしれない。

では、いつからそうなったのか。小さい頃から?何かきっかけがあって?バーストラウマがあったとか?

自分の意識には出てこないことも、身体は全てを記憶していて、それから何かを学び、今の自分が出来上がっている。

その当時は、自分の身を守るために持ったものだとしても、今は必要ないことかもしれない。

今必要ないものに捕らわれているとしたら、それを解放した時、どんな自分に出会えるのか。

今まで自分だと思っていた振る舞いが、実は違うかもしれない。

重荷を下ろしていった先にあるもの、を見てみたいと思う。

そして、自分の周りの人や、私を知って興味を持ってくれた人たちも、

本当の自分に出会えたら、こんな素敵なことは無い!

「幸せを小さく感じ、大きな不満を抱えて生きる」のではなく、心からの幸せを感じられるように。

きっかけはただ、「触るだけなのに身体が何かしら反応し、何が起きているのか知りたい!」と思っただけなのに、

今、もっと深い、生命の本質というか、本来の自分に出会うためのものを学んでいる。

私には分かるようになる氣がしない、と思って、自分で領域を狭めていた。

自分で自分を制限していた。

そこから一歩出て、自分の可能性を増やすということは、自分の周りの人の可能性も増やす、ということかもしれない。

取り留めなくなってしまったので、今日はこの辺りで。

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